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「なんだか居心地が悪いな」 「サイズの合わない靴を無理やり履かされているような感じだな」 |
こんにちは。
教員専門ワークライフデザイナー/ライフコーチ蒼井櫻子です。
職員室で過ごす日々のなかで
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「なんだか居心地が悪いな」 「サイズの合わない靴を無理やり履かされているような感じだな」 |
と感じることはありませんか?
その息苦しさの正体は、もしかすると知らず知らずのうちに「職員室にある極端な二択」で迷ってしまっているからかもしれません。
日々、個別セッションで先生方のお話を伺ったり、自分自身が教員だった頃の記憶や記録を整理したりしていると、人が精神的に追い詰められたときに陥る、ある思考の罠が見えてきます。
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秋の学校現場は、行事と業務が怒涛の勢いで押し寄せますよね。
文化祭、体育祭、校外学習。高校であれば就職試験や総合型選抜、推薦入試の指導が本格化し、年明けの高校入試に向けた準備も同時に進みます。
分掌ごとに業務が集中し、生徒指導の案件もそれなりに増えます。
そういったわけで、この時期は「他の教員の仕事のやり方」や「学校経営の方針」が最も色濃く目の前に突きつけられる季節でもあるんですよね。
普段はなんとかやり過ごせていた組織への違和感や、「自分は教員としてどうありたいのか」という問いが、避けられない問題になってくるというわけなんです。
そんななか、身を削りがちな先生に時々起きるのが、職員室が「2つの極端なグループ」に分かれて見えるという現象。
「あの人たちは間違っている」と断じたり「どちらにもいたくない」と強い拒否感を覚えたりするのです。
過去の私の話を少しさせてください。当時の私には、職員室が次のような二大勢力に見えていました。
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① 100のグループ(政治闘争が生活の中心) |
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② 0のグループ(諦めて省エネで働く) 「どうせ何をやっても学校は変わらない」と割り切り、愚痴を言いながらも家庭や生活を最優先にして最小限の労力でやり過ごす先生たち。 |
かなり乱暴な分類ですが、心身の余白を失っているときほど、世界はこのように「白(100)」か「黒(0)」かの2色にパッカリと割れて見えていたように思います。
私自身は、私学教員として就職した直後、バリバリに勢力争いを繰り広げる「100のグループ」の熱量に飲み込まれました。
実習の教官や先輩に教わった教員像を真面目に鵜呑みにし、「学校で生き抜くためには頑張り続けなければならない」と思い込んでいたのです。
でも、心の中はずっと息苦しさに満ちていました。そこから抜け出すという選択肢自体が頭に浮かばなかったし、誰かに相談しても「社会っていうのはそういうものだ」という答えが返ってきました。
「100のグループ」に身を置いていると、世界は“敵か味方か”の修羅場にしか見えなくなります。
他人の粗探しが上手くなり、「あぁいう経験をしてきたから、この人はこんな態度を取るんだ」と他人をわかったような気になっていました。
その一方、「0のグループ」の先生たちのように、スイッチを完全に切って無気力にやり過ごす姿に対しては、「教員としてあぁなりたくない」と強い嫌悪感を抱いていました。
「戦う大人(100)」にもなりきれない。かといって「情熱を捨てた大人(0)」にもなりたくない。
二者択一の狭間に挟まれ、どちらにも居場所を見出せないまま、私は1日16時間働き続けて現場で倒れることになりました。
倒れて療養に入り、手帳を使って自分のタスクや時間配分を見直すようになると、ようやくひとつの根本的な事実に気づきました。
「スケジュールだけをいじっても、タスクを選び、予定を組んでいる自分自身がもつ前提を疑い直さなければ、働き方は何も変わらない」ということです。
私が働きすぎる思考・身を削る思考と呼んでいるものです。
「それって、本当に事実なんだろうか?」
「私はどうして、そう思い込んでいるんだろう?」
手帳の余白で自分自身と対話を重ねていくうちに、職員室の見え方が少しずつ変わり始めました。
世界には白と黒だけでなく、濃淡さまざまな「グレー」が存在していたと、ようやくわかったんですね。
そもそも、100のグループも0のグループも、職員室の多数派ではありませんでした。ただ声が大きくて態度が目立つから、大部分を占めているように見えていただけだったようです。
そして、改めて職員室や体育館、講堂を見渡してみると、100でも0でもない先生たちが、ごく自然にそこに立っていました。
校内政治とは距離を置きつつ、担当科目の専門性を静かに磨き続けている先生
毎年新しい工夫を取り入れ、生徒一人ひとりと丁寧に対話している先生
他の先生と連携しながら、新しい形の探究学習を試行錯誤している先生
そういう先生方は、自分の手の届く範囲(自分の持ち場)で自分の正義を大切にしながら、同時に「他者には他者の正義がある」という柔軟さも持ち合わせていました。
視野が狭くなっていた頃の私なら「0のグループ」と雑に片付けていたかもしれない先生たち。実は各自の心地よいバランスで、いい意味でマイペースに、しなやかに教員を続けていました。
学校現場で「グレー」というと、理不尽に妥協したり、なあなあで済ませたりするようなネガティブなニュアンスを持たれがちです。でも、ここで言うグレーは違います。
自分らしさを保ったままで教員を続けていくために、自分はどの濃度の位置に立つのかを自分で引き受けること
これが、いわゆる自分軸の中身なんだろうと思います。
身を削り続けてきた完璧主義で真面目な先生ほど、疲弊したときに世界がゼロヒャク/白黒/敵・味方に見えやすくなります。
個別にコーチングセッションでお話していても、「毎日そう見えていたらそりゃシンドイですよ…!」と苦しさが伝わってきます。
もし今、職員室で強い違和感や息苦しさを覚えているなら、それはあなたがダメだからとか、教員に向いていないとか、そういった理由ではないでしょう。
「ゼロヒャク・白黒に世界が見える」フィルターがかかっているのかもしれません。
「戦うか、諦めるか」の二択ではありません。その間には、あなたが息を深く吸い込める場所が、いくらでも広がっています。
頭では「世界は二項対立ほど単純ではない」と理解できても
「自分にとってちょうどいいバランス(立ち位置)がどこなのか分からない」
「どこまで力を抜いて、どこに情熱を注げばいいのか、境界線が引けない」
と感じることは自然なことです。
長年、誠実に期待に応え続けてきた方ほど、自分一人の頭の中でその塩梅を見つけ出すのは難しく感じるはずです。
そんな感覚を抱えている先生は、ぜひお話ししに来てくださいね。
自分が無意識に背負い込んでいる「100」の荷物は一体何なのか。なぜ「0」になることに強い恐れを感じてしまうのか。
絡まってしまった思考の糸を丁寧にほどきながら、あなたが無理なく、力強く根を張れる立ち位置を一緒に探していきましょう。
頭の中を静かに整理してみたい方は、ボタンから個別セッションの詳細をご確認ください。
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