こんにちは。教員専門ワークライフデザイナー/ライフコーチの蒼井櫻子です。
現役のころも、フリーランスとして先生方を支援している今も、長時間働く教員には、働き方改革に抵抗や不安を覚える人が多いような気がしてきました。
私がいた学校でも、部顧問をやりたくて教員になったという先生は「困ったなぁ…」と言っていたし、熱心な先生のなかには声を張り上げて管理職を非難するという人もいました。
現在、学校の先生が「身を削る働き方」から抜け出して、自分らしさを活かしながら穏やかに働けるように個別サポートをしていますが、この統計はすごく私の生活実感にも合致しています。
残業が月80時間超の教員、業務見直しに慎重な傾向 都教委調査https://mainichi.jp/articles/20261029/k00/00m/310/126000c
興味深いのは、残業80時間超の教員の37.9%が「時間をかけてでも丁寧に行うことが大切」との雰囲気を「強く感じる」と回答した、という点です。
“雰囲気を感じる”というのが注目すべき点で、教員の超過勤務には、【個人の認知】も絡んでいるということなんです。
本文では「教員の意識が「学校特有の文化や慣習につながっている可能性がある」」と分析していますが、実際はもっと根深いと思います。
平穏に暮らすために、自分の思いを抑え込んできた人、存在価値を確認するために必要以上に期待に応えようとしたり、自分を追い込んだりしてきた人、生き抜くために他者の感情に敏感に対応してきた人など。
元来、そういう傾向をもつ人が教員のような対人支援に携わるケースが多いのかもしれません。
ところが、時代の変化とともに学校教育・教員個人の役割が増え、その質が変化し、量やスピードも求められるようになった。
先ほどのような思考をもっている教員が物理的に対応できなくなるのは自然なことでしょう。…というか、現場で倒れたことのある私も、かつての自分を振り返ってそう思います。
「教員は生徒のためなら生活を賭すべきだ」と、教育実習の教官や就職先の先輩に教わってきました。
1日16時間働いて倒れた私が、手帳を活用して自分の思考を根っこから見直すようになると、それまで見えていた世界がまったく違って感じたのです。
「生活を賭して体を壊したら終わり」と思う先生もいるし、「誰かは必ず文句を言うんだから人の機嫌うかがっても意味ないよ」と言う先生もいる。
倒れるまでは、そこが見えていなかったというか、「それができたら苦労しないんだよ」と反発していました。結局、私のなかには「自己犠牲への信仰」とともに「思考停止」が起きていたんだろうと思います。
今、「…とはいえ、他に方法が見つからない」と思いつつ、身を削り続ける教員生活に限界・違和感を覚えている先生を個別にサポートしていますが、みなさん、それぞれに背景があって働きすぎに陥っています。
でも、共通するのは同じで「身を削る思考」を、教員になる前から持っているということです。
組織改革・制度改革だけではない、個別の支援が必要だなと改めて感じます。
>>>前の記事
<<<次の記事