反射で働いてしまう先生へ|自己犠牲を続ける前に見直したい思考のクセ。


反射で働いてしまう先生へ|自己犠牲を続ける前に見直したい思考のクセ。

みなさん、こんにちは。
教員専門ライフコーチの蒼井櫻子です。



完璧主義、自責思考を背景に身を削り続ける日々に限界を感じている先生を、コーチングと手帳を使ったプランニングで継続サポートしています。



自分を大切にする具体的な方法に取り組んで、時間にも心にも余裕をもちたい先生は、画面右上【無料プレゼント】を活用してみてくださいね。



この記事を…

👉見る(YouTube)

👉聴く(stand.fm)



Amazon Music,Spotify,Apple Podcastなど、各種ポットキャストでもお聴きになれます。

「蒼井櫻子」「先生だって定時に帰ります」で検索🔍


振り返りが教えてくれた「先延ばしの正体」。



ちょっと気が早いかもしれませんが、2025年を振り返ってみました。



私自身が振り返ってみて一番感じたのは——



「準備万端な“いつか”は一生来ない」ということ。



ずっと行きたかった長崎を、ついに旅してきました。




CITTA手帳のワクワクリストに、教員時代から何年間も書き続けていたけれど、



「長い休みが出来たら」

「何月までに◯件契約できたら」

「もっと調べて完璧に計画できたら」



こんな風に、条件をつけて楽しみに取っておいているんだ…と自分を納得させようとしていました



さらに、自分で作った条件を満たしても「もうちょっと仕事を頑張ってみるか💡」と欲を出してしまったんですね。



ゴールテープを自分で動かしている限り、“長崎に行きたいだけの人生”で終わってしまう



いよいよ親友を誘ってでかけてきました。そしたらね、驚くほど心が軽くなったんです。


ブレーキは必要。でも、強すぎると前に進めない。



今年、ピラティスを習い始めたんですが、そこに至るまでにも、同じ迷いがありました。



月謝は毎月固定。



収入が変動する働き方をしていると「来月も払い続けられるかわからない」という、妄想に似た不安がすぐ顔を出します(普通に貯金はあるのに)。



私の中にはいつも“二人の自分”がいます。どちらとも基本的には「明日、何が起こるかわからない」と考えている心配性さんですが——



  • 「明日どうなるかなんて誰にもわからない。だから、やりたいことをやろう!」と背中を押す自分。

  • 「何かあったら対処できないかもしれない。やめておけ!」とブレーキをかける自分。


どちらも必要ではあるんですが、ブレーキが強すぎると、人生そのものが先延ばしになるんですよね。



「反射」で仕事すると、身を削る。


クライアントとしてコーチングを受けていた私は、自分の下半期を一言でこう表現しました。


「気忙しかった。」



なぜ落ち着かなかったのか。
突き詰めていくと、こんな2つの心の流れがありました。



① 学べば学ぶほど、身につけたいことが増える

⇒ 完成形なんてないし、時間がかかるものなのに、期待するスピードではない自分に苛立つ

⇒ 早くできるようになりたい…と焦り、怖い顔して自分を追い詰める



② 短時間でできることが増えていって、作業時間が減る

⇒ 暇になるのが怖くなる

⇒ 焦って「べき/ねば」で判断し、よく考えずに反射で動いてしまう

⇒ 実際、やらなくてもよかったかもしれない仕事を増やしている



この感覚、学校の先生にも多くないですか?私のセッションにいらっしゃる先生から、同じようなお話を聴くんです。

早く仕事が終わったのに、帰らずに別のタスクを探してしまう…という感覚ですね。

「早く仕事が終わった」といっても、とっくに定時は過ぎているのに…です。


焦りや不安から「べき/ねば」で生きてしまう。


気づいたことが一つあります。



自分自身と向き合わず、熟慮しないで行動しているときは、必ず「べき/ねば」で判断しているということ。



コーチは、サービスを体現していなければ

コーチは、成長し続けなければ…



それ自体は間違いではないんです。
ただ、それが焦っている自分を隠す言い訳にもなっていたんですね



むしろ、私のサービスを体現するのであれば、立ち止まってもいいし、何歩か戻ってもいいし、方向転換してもいいわけです



本来の自分の声をちゃんと拾い直す時間が必要でした。



私はクライアントの先生方によくこう言います。



「子どもたち・生徒たちにかけている言葉を、自分にもかけてみてくださいね」



自己犠牲してしまう先生は、他者への共感は高いのに、自分へのアンテナが鈍くなりがち。



生徒を気づかうように、自分のことも気づかっていいし、温かい言葉を自分にかけてもいいんです。

私自身、改めてこれを痛感しています。


自己犠牲は悪じゃない。でも、「補充」が必要。


自己犠牲って、悪じゃないんです。

アンパンマンだって、自己犠牲の塊みたいなものですからね。


でも、アンパンマンには新しい顔を焼いてくれるジャムおじさんがいて、バタコさんが「新しい顔よー!」と投げてくれます



ところが、自己犠牲でしんどくなる先生には、彼らがいない。「新しい顔つくってほしい」と言えないんです。



欠けた顔のままで翌日も働いて、また身を削ってしまう。どんどん顔が欠けていくと想像したらどんな感じがしますか?


そんなことを続けたら、本体がなくなってしまいますよね?



身を削るだけの働き方から、「補充しながら楽しく働く」生き方のほうがよくないですか?



明確には理由がわからないけど、急いで生きている感じのするあなたへ。


一回、息をつきましょう。

「今、自分は何を感じている?」
問いかけてみるとどうでしょうか。



不安、焦り、怒り、哀しみ

体の震えやこわばり

喉のつかえ

手足の冷え

頭がパンクしそうな感覚



自分自身にアンテナをしっかり張ってみましょう。もしかしたら、胸の高鳴りや背筋の伸びる感覚のような、喜びを表す表現も出てくるかもしれません。



無理のない生き方は、いつも内側の声を聴くところから始まると思っています。



自分から聴こえる声を丁寧に言語化し、その声の主や出どころを一緒に探ってみたい方は、無料セッションでお話ししましょう。



>>>前の記事