教員専門ライフコーチ、蒼井櫻子です。
先生方とお話していると、定期的に話題にのぼってくるのが「手を抜けない」「妥協できない」というお悩み。
これは自分の欠点であり、無理矢理抑え込んでゼロにすることなんてできない!という嘆きもお聞きします。
私自身も、もともと完璧主義であることに悩んでいたので、よくわかります。
ですが、冷静になって考えてみてください。
生徒の面接対策でこんな指導をすること、ありませんか?
「長所と短所を答えなさい」には、長所を短所に言い換え、短所を長所に言い換えることで対応するといいよ。
それはあなた自身がかつて先生に言われたことであり、実践したことだと思います。
でもこれは、本当にそうなんですよね。
短所って長所なんです。
あなたの特性が足を引っ張れば短所になり、背中を押してくれるなら長所になるのです。
あなたの“手を抜けずにこだわってしまう”のは、ただの特性。言い換えれば、“精度の高い仕事を生み出す”長所であり、無理に抑え込む必要はありません。
そのうえで疲弊せず、時間にも追われないように何か工夫するとしたら、こうなります。
本当にやりたいことだけにこだわる。
ただし、あなたの気力・体力は無尽蔵ではありません。
やりたいことで最大限のこだわりを発揮するには、自ずとそれ以外で“エネルギー出力”を調整する必要があります。
すると、自分の特性を存分に活かせますから、満足感を得ながらも、余力を残して生活できるんですね。
今日は、そんなお話です。
この記事を…
私がこのように考えたヒントは、高校生の教え子たちの学校生活でした。
試験監督をしていると、生徒の表情がコロコロ変わるのに気づきます。
机に突っ伏すように計算する顔
目をキョロキョロさせて記憶を引っ張り出す顔
頭をひねりながら策を講じる顔
ヤマが外れて絶望する顔
もうどうでもいいと不貞腐れた顔
グラウンドのコンディションが気になって集中できない顔
ここまでにどれだけ準備をしたのか、どんな葛藤があったのか、大きな悩みに支配されているんじゃ?と想像力を掻き立ててくるんですよね。
また一方、同じ生徒でも科目によって取り組み方が違うのにも気づきます。
「あぁ、この人たちは本気でやることを選んでいるな」
当人たちは、選ぶことにエネルギーを割いているわけではなく、単純に気持ちが向くことへの感度が鋭く、素直にやっていただけなんだろうと思います。
掃除、昼休み、通学時間は少なくとも気を抜いているし、つまらない授業も、全校集会の講和も適当にやりすごす。
小さなころに「手を抜くのは悪いこと」「相手を見て態度を変えるな」と躾けられたとしても、この程度は生活しながら覚えるものです。
彼らが本気になるのは、好きなことや興味のあること。今しかできない!と思っていること。
得意な科目、好きな授業
部活動での試行錯誤
文化祭の準備
体育祭の出場種目
習いごとの発表会
趣味に費やす時間
それ以外は「それなりに」やっているわけです。
思い返せば、学生時代もやることが多かったはずです。
私の通っていた高校は、宿題こそ出ませんでしたが、ついていくには予復習が必須。
少なくとも1日2~3科目は授業という締切に備えなければなりませんでしたし、時期によっては試験勉強も上乗せされました。
この科目はいい点を取りたい
こっちの科目は平均点で上等
あの試験は赤点じゃなきゃOK
…のように、最初から完璧(に近い)を目指すものとそうでないものを決めておいたり、得意・不得意に合わせて学習時間も調整しました。
そのうえで出た点数は自分の責任として背負うわけです。
これをお読みの先生も、学生時代を思い返すと、本気でやるものを選んでいたのではないでしょうか?
でも、教員になると変わってしまう。
それはなぜか?
常に誰かに見られているストレス
給料をもらう責任
教員の倫理観
陰口の多い職場の雰囲気
精神的にも物理的にも縛るものがいくつも思いつくのではありませんか?
もしやあなたは「アイツは給料泥棒だ」「教員に向いてない」と言われるのを恐れているのですか?
そうだとしたら、あなたが仕事ができない人間かどうかではなく、そういうことを平気で口にする人間が近くにいるということ自体が問題なのです。
その人がもう近くにいないのに、頭や胸のどこかにいるように感じるとしたら、そっちと向き合うべきです。
責任感や倫理観に関しても「本当にそうなのか?」と問い直すことが必要です。そのほとんどは、若いころの刷り込みなのですから。
手を抜けないとか妥協できないことで悩んでいる先生の多くは、着手するものに優先順位をつけていません。
目についたものや、同僚に依頼されたことから無計画にやっていくので、本当にやりたいことに向き合ったときには既にクタクタ。何よりも不満なのが、どれも納得いく精度にはならないということなのです。
そして、ひとしきり自らの能力不足を呪って、翌日同じことを繰り返すというルーティーン(ハイ、過去の私(;'∀'))。
私たちは、学生時代の経験から本気でやるものを時期によって選んできたはず。
つまり、妥協の仕方を知っているのだから、対象を決めさえすれば試すことは可能です。
納得いく仕事をするために、こだわる対象を厳選するのです。
例えば、締切の近い複数のタスクがある場合、締切に間に合わせつつ、内容にこだわることになります。すると…
資料の文字数を減らす
確認作業の回数を減らす
致命的でない違和感はスルーする
こんな妥協の仕方があります。
他にも、こんなかたちでやることもできるでしょう。
教科指導では妥協しないが、学年会の議論では早々に妥協案を検討する。
生徒指導では妥協しないが、生徒の提出期限は妥協して長めに設定する。
周りに「あの人は妥協しないなぁ」と関心したくなる先生がいるかもしれませんが、その人もどこかで妥協しているはずです。
集中できなくなったらサッサと帰る。
会議中に違うことを考える(資料は先に読めることが多いから)。
準備が間に合わなければ、授業では復習の時間を多くとる。
弁当を用意しないでカップ麺を食べる(高校ではよく起こる)。
どうですか?思い当たることがあるはずです。
今後、妥協することを覚えたい先生におすすめのアイディアがあります。
本気でやりたいことや、妥協するポイントを思いついたときに手帳に書いておくことです。
前にも同じようなことがあったけど、どうしたかな…?と判断がブレたり、中身のない打ち合わせを入れたりするのは勿体ないですよね。
だから、手帳はウィークリーでメモ欄を広くとるものがおすすめだし、足りない先生は薄いノートを手帳に挟んでおくといいです。
思いついたこと、考えたこと
考えなきゃなぁ…と思うこと
何でも書いておきましょう。
手帳・ノートを開いた時に「あぁそうだ。これは妥協してOKな案件でした」と過去のあなたがリマインドしてくれますよ。
自分の記憶に頼らず、手帳・ノートを活用すると、フットワーク軽く動けると思います。今から少しずつ情報を貯めていきましょう。
ここでは、妥協の仕方について例を挙げましたが、「自分が本気でやりたいこと」を明確にしたいという方は、無料のコーチングセッションで深掘りしましょう。