女性教員専門ライフコーチの蒼井櫻子です。
ライフコーチとして、先生方をサポートしていて「わかるなぁ」と胸が苦しくなる瞬間があります。(コーチとしてはあんまりよくない)
それがキャリアとライフステージの話。
「自分はまだまだできる。もっと働きたい!」というキャリアへの渇望感だけでなく、「世の中に置いていかれる!ひとりになりたくない!」というライフステージへの焦燥感も女性教員にはあります。
現実問題、女性の体にはタイムリミットがあります。
親や職場にいる既婚子持ちの先輩・後輩から心配…というか、干渉されるわけですが。
誰よりも、自分自身が自分をジャッジしているのが辛いのです。
コーチの新庄りかさんと先日対談させてもらったのをきっかけに、自分とじっくり話してみることにしました。
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いつもと趣が違いますが、同じようなしんどさを抱えている方に届けられたら幸いです。
学生時代から「普通じゃない」のを誇りにしていた私。
普通なんてつまらない。
刺激のない毎日なんて退屈だ。
中高生のころは、同じような日々に飽き飽きしていました。
大学4年で教採に落ちると、私学で有利に働くために大学院へ進学(修士だと基本給がかなり違ってくるし、学校によって優遇もある)。そもそも私学教員が第一志望だった学生は、そんなに多くなかったですよね。
女性の少ない社会科・地歴公民科に所属。
女性が1割しかいなかった学校に就職。
「私は働くために生まれてきた」と求婚を断り、その後長く交際した相手とも結婚する気になりませんでした。
私が結婚したくなかった理由は3つありました。
子ども時代の自分が大嫌い
⇒ 子どもが怖い、可愛いと思ったことがない
⇒ 子育てしたくない、私のような子になったら辛すぎる
保守的な家庭で育った記憶
⇒ 妻・母になれば、キャリアを追えなくなり、自分のアイデンティティを失う
経済的な理由で選択肢が限られた経験
⇒ お金は何よりも大事
⇒ お金は自分のためだけに使おう
自分で考えた結果、「一般的でない」生き方を選んで誇らしいとすら感じていたんですよね。
職員室にいた女性陣のうち、「人生すごろく」を楽しんでいる人たちが結構身近にいました。
大学卒業 ⇒ 就職 ⇒ 結婚 ⇒ 妊娠 ⇒ 出産 ⇒ 育児 ⇒ 住宅購入 ⇒ 二人目妊娠・出産…(ゴールは孫の就職・結婚?)
ウェディングドレスや子どもの写真を机上に大量に飾ったり、PCやスマホの壁紙に設定したりして半径1mの世界でニヤニヤフワフワしている彼女たち(本人たちはシンプルに幸せなだけなのですが、私にはそう見えていました…性悪すぎるよね、わかります)を見ては「一本道しかない生き方がそんなに楽しいかね」と蔑んでいました。
業務改善や出世競争に励む日々の方が、私には100倍魅力的で、何も変える気がないのに愚痴やゴシップで盛り上がっている彼女たちのことが心底大嫌いでした。
なのに。それなのに。
一方で、私の生き方は「女らしくない」「人道から外れている」という後ろめたさも同時にもっていたのです。
たまたま縁あって、2021年に入籍。
それでも、「人生すごろく」への嫌悪感が強くありました。
「結婚式は儀式ですから」と何でもテキパキ決める私を見て、プランナーに「そんな新婦に出会ったことないです」と呆れられました。
名字が変わり、職場では旧姓を使ったのですが、自分が誰だかわからなくなりました(旧姓を使ったのも、離婚するかもしれないから)。
半年経たずに妊娠したものの、キャリアを失うことに恐怖し、喜べませんでした。
そんな私にとって転換期となったのが、流産。
「女として不合格」といよいよ言われた気がして正気に戻らず、鬱をぶり返します。
私の妊娠を騒ぎ立てた女性陣は、声をかけなくなりましたし、不妊治療に取り組むも、うんともすんとも言わず、苦しい日々が続きます。
私が治療に取り組んだのは、おそらく「私はまともだ。普通だ」と証明したかったからではないかと、今では思うのです。(子どもがほしい、と本気で思うようになったのも当然ありますが)
不妊クリニックには、2人目以降を望むママさんたちもいます。
1人目を授かるために苦労したはず。
なのに、当時の私はそこに思いが至らず「あなたの分を私にちょうだいよ」と思っていました。
子どもを叱る様子さえ、自慢に見えたのです。
「私は人生アガリに近いけど、あなたはいつまでそこにいるつもり?」
そんな声が聞こえてくるようでした。
副作用と、待合室にいる苦痛に耐えかねて、私は不妊治療をお休みすることに。
今は、当時の自分を振り返って「そりゃ辛いわな」と肩をポンポンと叩くことができます。
一般的でない道を辿ってきたという自負が、「人生すごろく」から離脱した罰であるかのように感じられましたが…要は、みんながもっているものを私もほしい!という感覚だったんです。
結局、みんなと同じがいいと思っていたんだなと気づくと、お高くとまって他人を見下していた自分の人間くささや器の小ささが、何だかいとおしくなります。
おそらく多くの人には「なにそれ?」な話なのですが、膝を叩きたくなる人もどこかにいると思うので、書いておこうと思います。これを読んでくださる方の心が少しでも軽くなったら嬉しいです。