女性教員専門ライフコーチ 蒼井櫻子です。
あなたは、仕事に線引きをしていますか?
「やる」「やらない」「余裕があればやる」
そもそも教育に関わる以上、線引きという言葉自体を忌避してきたという先生もいるでしょう。
しかし、ここは明言します。
あなたの心身の健康のために、線引きは不可欠なのです。
今日は、このような先生に向けて書きます。
仕事を思うように整理できず、帰りが遅くなって困っている。
自分や大切にしたい人のことをケアできずに、自己嫌悪に陥っている。
このような先生にとって、大きなヒントになると思います。
無料プレゼントでお配りしている【確実に仕事が減るやることリスト】では、「人に喜ばれる仕事から削ってください」とお伝えしています。
理由は簡単。
人に喜ばれる仕事は、本質的ではないからです。
本質的でないことは優先順位の最下位。
時間や気力・体力に明らかに余裕があるときにしかやってはいけません。
ところで、本質とは何でしょうか。
明鏡国語辞典によれば、「その物事を成り立たせている根本的な性質・要素。その物事の本来の姿。」とあります。
私なりには「本来の目的であり、核になるもの」と捉えています。
教科指導でも、生徒指導でも、やり方に一貫性が見えるとき、その先生は教育の本質を自分なりに掴んでいるんですね。
そして、結果的に生徒が笑顔になるはずです。
生徒たちとの信頼関係は、決して喜ばれることで生まれるわけではありません。
以上のような、日常的な先生自身の言動と生徒個人とのやり取りが総合的に信頼関係をつくっていきますよね。
喜ばせてくれる先生は、必ずしも信頼できる先生ではありません。
ややもすれば、便利な人になります。
本質的でないことに注力していると、のちに自分の足を引っ張るだけでなく、まったく関係ない先生の足を引っ張ることもあります。それは、クラスや学年だけではなく、校種すら越えてくるのです。
では、本質を考えることで、どんないいことが起こるのでしょうか?
以下、大きく2つお伝えします。
比較的若い先生とお話していると、こういうお悩みを聴くことがあります。
ベテランみたいに、一言でズバッと心を刺すようなことを言えるようになりたい!
正直、わかるんです笑
私も経験あります。
先輩のカッコいい台詞を拝借したら、当の本人がクスッとして横切ったときの光景は今でも「穴があったら入りたい」レベルです。
ただ、本質はそこじゃないんですよね。
ハッキリ言ってしまえば、悩むべきはそこではない。
適切な対応ができなかった、言葉を紡げなかったのは、考えてこなかっただけなのです。
誰かの台詞を借りたとしても、あなた本人の思いが入っていなければ、心を刺すどころか生徒の頭上を「吹き出し」が滑っていくだけで終了なのです。
今から考えるしかないのです。
「あの言葉には何と返せればよかったのか」
「あの子には、どう向き合えばいいのか」
何時間も、何日もかけて、あなた自身の指導の本質を考えることです。
その時間は、将来(教員を辞めたとしても)何十年も活きます。
いいタイミングで、力強い言葉を遣えるベテランはサボらずに考えてきただけの話。
(しかも、自分の言葉に酔っていない)
「本質」を考えるというステップは、省略してはなりません。
そのためにも、プランニングで時間をつくれることが重要なんですよね。
「本質は何か?」と考えていると、一定の基準で力の抜きどころを見分けられるようになります。
1.授業で教えなくていいことがわかる。
校種、教科・科目にもよりますが、「結局は何ができるようになればいいの?」と考えるところから始めます。
私がよく教えていた高校日本史の本質は、「時代を超えて通底する社会の動きを理解し、運用すること」だと思っています。
学習指導要領を読んでもあまりピンとこないのですが、大学入試と向き合っていると実感できます。
そう考えて各単元をみれば、力を入れるべきところはわかるのです。
生徒とやり取りしながら、解説・板書するところはココだ!と。
それ以外は、サラッとやって終わりです。
板書もほとんどせず、教科書・資料集を使って空欄を埋めさせるタイプの教員でした。
すると、生徒は教科書をよく読むようになるので、要領のいい子は授業で言及せずとも知っていることがどんどん増えます。
担当科目の本質を自分で言語化できると、準備や評価も楽に。
2.会議や雑務でのモヤモヤが消える。
会議でエライ先生がこんなフレーズを使うことがありますよね。
「生徒のためにやりましょう」
「先生たちの腕の見せ所です」
何ともきれいな玉虫色の言葉です。
つまりは、仕事を増やす魔法の言葉。
葵の紋よろしく、それにたてつけば助さん格さんに懲らしめられてしまう気がします。
でも、そこにはあなたの「モヤッ」が残りますよね。
ここでも、本質を考えてみると違ってきます。
あなたは「生徒のためになること」とは何か、説明することができるでしょうか?
これは、教育の本質を自分がどう捉えているか?という問題なのです。
先ほどの指導の本質、教科の本質も、すべてここに帰結しませんか。
先生の数だけありそうですが、あなただけの答えをひとつに絞ってください。
ちなみに、私の場合は「やりたいことを実現するために、自力で考えて動く足腰をつくること」です。
あなたの場合は何でしょうか?
ここが一本に決まれば、エライ先生が何と言おうとへっちゃらなわけです。
生徒にとって考えるいいチャンスになりそうだ!と思う取り組みなら、張り切ってやる。
「これは意味あるのか?」と思うものなら、6割でやる。
(エライ先生も、板挟みになって苦しいがゆえに「生徒のために」と言うしかなかったりする)
教員には裁量があります。
先輩は「教員は個人事業主みたいなものだ」と言いましたが、私もそう思います。
こういうところで裁量を活かしてもよいのでは?と思うのです。
今日は、「本質を考えればやるべきことはおのずとわかってくる」というお話でした。
それを考える時間と労力は、ケチってはなりません。
なぜならそれは、ストレスフリーに教員を続けるための自分軸になるのです。
先生によって「本質」は違って当たり前。
むしろ、本気でやっている証拠でしょう。
議論を戦わせるのもアリ。
お互いを尊重しながら連係していきたいですね。